保育とは④ ~子どもの無限の可能性を引きだすためには~
子どもには無限の可能性があります。
そして、親なら誰しも子どもの無限の可能性を引き出したいと考えていると思います。
では、子どもの無限の可能性を引き出す保育・子育てとは何だろうかということになります。
可能性を引き出すために考えられた子育ての手法(やり方)は色々なものがありますが、今回は手法について考える前に、もう1つ前段階で考えるべき点について触れます。
大人の概念・価値観で決めつけない
子どもというはものすごく素直です。
そして、既成概念というのがありません。
(年齢が小さければ小さいほど)
既成概念がないということは子どもの発想は何ものにも縛られないので、発想力・想像力は無限大です。
この状態が、子どもの無限の可能性を秘めた状態であり、まさに原石です。
では、なぜ無限の可能性が段々と失われていくのでしょうか。
それは、成長していく過程で様々な既成概念を(大人が教えて)覚えていくからです。
(年齢が大きくなればなるほど)
そうなると、既成概念という枠が発想力・想像力の邪魔をします。
例えばどういったことかというと、
ある子どもが黒いチューリップの絵を書いていました。
それを見た大人は子どもに言います。
「チューリップに黒色は無いんだよ。赤や黄だよ。」と。
これを繰り返していくと、いつしかチューリップに黒色は無いという既成概念を持ちます。
ただ、それは一般論であり、世の中のどこかには黒いチューリップがあるかもしれません。無かったとしても、品種改良して新たに作り出すことだってできます。
しかし、無いという概念がうえつけられると、不思議とそういった発想が出来なくなっていきます。
そのため、子ども達の隣にいる私たち大人は、自分の概念や知識だけで決めつけないことが大切だと思います。
一言伝える前に自分自身に「はたして本当にそれはそうなのか。」と一度、自問自答をしてみるとよいかもしれません。
そうすれば、子どもが持つ無限の可能性=想像力・発想力を少なくとも阻害することはなくなっていくかと思います。
(また、そういう発想ができるようになると、自分自身も成長し、その成長した自分の隣にいる子どもも相乗効果でより成長していくと思います。)
今は当たり前に「空を飛び」「月へ行く」時代。
大昔の人たちには想像しえなかったことだと思います。ほとんどの人はそれはできないと思っていたでしょう。
しかし、そういった既成概念に捉われず、(大人になっても)子どものような純粋な発想力・想像力を持ち続けた人たちによって実現されました。
全ての子どもにはこういった無限の可能性が秘められています。
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既成概念と一般論(社会ルール)の線引き
ただし、私たち(大人も子どもも)は1人で生きている訳ではありません。
コミニティ(社会)を形成してお互いに支えあい・協力し合って生きています。
そのため、お互いを尊重するためのモラルがあり、社会のルールや法があり、国によっては独自の文化がありますし、子ども達にはこれら最低限のことは教えていく必要があると思っています。
例えば、以下のようなことでしょうか。
・電車ではお年寄りや妊婦さんなどには椅子を譲ってあげましょう。
・並んでいる行列の途中には割り込まずに後ろにならびましょう。
(教える時には理由もきちんと伝えてあげること。電車の例なら、「自分の方が元気な体なら、体の調子が悪い人にゆずってあげようね。自分が逆の立場だったらそうしてもらうと嬉しいよね。なので助け合っていこうね。」とか)
ただ、難しいなと思うのが上記で述べたチューリップのような一般論や知識を教える場合。
(日本では)チューリップは黄色や赤色というイメージを持っている人が多いこと。これ自体は別に良い悪いの問題ではなく、単純にそういった事実。
そのため、「チューリップは赤・黄である。」と決めつけて教えることは、子どもの可能性を邪魔してしまう可能性がありますが、「チューリップには赤・黄が多くて、日本ではそういうイメージを持っている人が多い。」という一般論(既成概念)を教えてあげることは、有りだとは思います。(ただ、絶対に必要とは思いませんが。)
その理由として、上記でも述べたとおり、自分たちは1人で生きている訳ではなく社会・組織といったコミュニティを形成して生きています。
そういった中で一般論(既成概念)を抑えた上で人と接することは、コミュニケーションという点では円滑になります。
特に子どもの頃は、他の子たちと違う行動や考えをするということは、まだまだハミ出し物にされるケースが多いと思っています。(これがひどくなるとイジメに発展。)
そのため、一般論と既成概念をうまく分けて子どもに伝えることができればな、というのを感じました。
※当件は全てに共通する答えでは無いと思っています。以下は、あくまで自分が関わった園長先生方と話した時の1つの考え(答えのようなもの)というだけです。