子育てにおける父親の役割とは ~父親の悩み・本音から探る~
父親達が語る、子育ての悩み・本音
先日、NPO法人オトナノセナカにて、父親(パパ)を対象とした以下のイベントを行った。
『こそだて寺子屋 ~「子」と「個」を育てる学びの場 はぐくむ!パパ力~』
※講師(登壇者)には父親向けの育児をテーマとして扱った雑誌(メディア)を展開しているFQ JAPANの畑山 護之さんを迎えた。
イベントには約20名の父親に参加して頂いた。
(子どもの年齢は1歳~15歳くらい、1~3児の父親が多かった。)
そして、イベントの後半では4~5人のグループに分かれて「父親×子育て」をテーマとした対話を行ったのだが、対話を始めてすぐ、
「子育ての時間が取れていない。」
「基本、平日は仕事で夜、帰るのが遅い。家に帰ると子ども達は寝てしまっているのがほどんど。」
「土日だけは、頑張って子育て(家庭)のために時間をとるようにしている。」
「3人の子供がいる。一番上の子供はもう中学生になるが、一番上の子に関しては全く子育てに関われなかった。一番下の子どもは今小学生。一番下の子の子育てには携わろうとしているが、どう子育てをすれば良いのかよく分からない・・・」
などなど、様々な父親(パパ)ならではの子育ての悩み・本音が飛び出した。
各家庭によって色々な状況はあるものの、(今回、参加した父親に関しては)子育てに対する「時間」や「方法」の悩み(問題)が多くを占めていた。
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父親と子育て。理想と現実。
イクメンとは
最近、巷では「イクメン」という言葉が流行している。
「イクメン」とは「育児(イクジ)をする男性(メンズ)」、略して「イクメン」。
そして、「イクメン」という言葉には、「育児を楽しむ父親(パパ)。 育児を積極的に行う父親(パパ)のこと。」という意味合いを含めて使われることが多い。
さて、当イベントでも「イクメン」という言葉が出てきた。
イベントの前半には、インプット(お勉強)の時間として、FQ JAPANの畑山 護之さんに近年の「イクメン」事情について話をしてもらった。
その話の中では、子どもと一緒に満面の笑みで大自然のアスレチックで遊び、アウトドアをしている父親の写真・事例などが紹介され、「育児を楽しんでます!」といった感じの父親の写真が出てきた。
まさに「ザ・イクメン」といった感じである。
しかし、この「イクメン」=「育児をする父親像」は、記事の冒頭で書いた父親達の現実とは異なるものであった。
「イクメン」という理想と現実
父親達の対話の続きの話に戻します。
自分たち(父親)が抱える子育ての悩みを共有した後、「自分たちの子育て」と「イクメン」とを照らし合わせた話が始まる。
やはり、「イクメン」の父親像と現実の父親はギャップがある。
雑誌で取り上げられていたイクメンがしているようなアウトドアの写真などを見ては、
「とても自分はこういった感じはできない。」
と。
人によっては、
「そもそも、私自身も子どももあまりアウトドアが好きでないは無い」
といった話が出る。
話は続き、
「雑誌に取り上げられるよう子育てをすればよいのか?」
「そもそもイクメンとは何だろう?」
など、「子育て×父親」に関しての定義やto doに関する会話が飛び交う。
そして、つかの間に訪れる溜息と沈黙。
これが何度か繰り返される。
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子育てにおける父親の役割とは ~to be:ありたい姿~
対話も終盤に差し掛かる。
その中で、ふと「どういった父親像でありたいか。」という話になる。
その答えは三者三様。ただし、どれが正解・間違いというものでもない。
そういった話をしていく中で、自分の中で「子育てにおける父親の役割」に関して1つの答えのようなものが見つかった。
※あくまで自分の中での1つの答えです。※
それは、まず当たり前のことだが「子育てをする父親の形に答えは無い」こと。
当たり前だが、みんな、仕事や家庭の状況も違う。
子ども年齢や人数も違えば、仕事の内容や働く時間も違えば、住む場所も違えば、育ってきた環境も違う。
そのため、全員に共通する「子育て×父親」の答え(在り方・役割・すべきこと)なんてものは無い。
まずは、この当たり前すぎる当たり前なことを改めて受け止めた。
その上で、父親達が最後に語った各々の「どういった父親でありたいか」といった「to be」が大切。
そして、その「どういった父親でありたいか」を実現した時に、「子どもが父親(家庭)に対して笑顔でいられるか。」がとても重要であるということ。
例え、十分な子育ての時間がとれなくても、直接的に十分な子育てが出来ていなくても、自分の子どもが
「パパはお仕事で忙しいけど、それは自分たちのために頑張ってくれているんだ。」
「パパはとても立派なことをしているの。将来はパパのようになりたい。」
「パパはとても立派なことをしているの。将来はパパのようになりたい。」
と、自分(父親)のことを理解し、憧れ・尊敬し、そういった父親の背中を見て(父親の背中を追って)たくましく成長したのであれば、それも立派な子育ての1つではないだろうか。
(まさに団体名であるオトナノセナカの由来にあるとおり)
父親としてのありたい姿を考える中で、子育ての悩みが徐々に解消
子育ての悩みの内容は人によって様々です。
そのため、子育ての悩みを解消する皆に共通の答えは無いかと思います。
父親・母親ともに育ってきた家庭の数だけ、そしてその組み合わせの数だけ、子育ての形は無数にあります。
そのため、理想的な(一般論の)子育ての形や他人の子育ての形と比べても、自分たちの家庭に合わないのは当たり前のことではあります。
(そこに捉われれば囚われるほどに子育ての悩みから脱することができなくなります。)
今回、対話を通して他人の形・自分の形を話す中で、徐々に一般論(理想的な子育ての形)や他人の子育ての形と比べてもあまり意味がないということに気づき、「父親としてのありたい姿」を考えていく中で、各父親たちの子育ての悩みが徐々に解消されていきました。
家族で一緒に考える父親像 ~育児(子育て)に悩んでいる父親へ~
自分達の子どもに理解し、憧れ、尊敬・尊重される父親像=自身がどうありたいか(to be)について、改めて考えてみてはどうでしょうか?
そして、自分の中で、子育てにおける自分なりの目指す(目指したい・ありたい)父親像が見えてきたら、次に奥様と対話をされることをお勧めします。
子育てを自分1人でしているのであれば不要かもしれませんが、ほとんどの家庭では奥様と一緒に子育てをすると思います。
そうであれば、奥様の理解を得る必要があります。
(自分の中で「よし!こうだ!」と思って勝手に突き進んでやっても、奥様とぶつかってしまい実現しづらいと思います。)
そのため、奥様と対話をする際には、以下の流れで対話をしてはどうでしょうか?
- まずは自分が考えた父親像(特に理由など)を伝える。
- そして、奥様は奥様で、奥様自身が思い描く(奥様の育ってきた環境から来るこうあってほしいという)父親像はあると思いますので、奥様が考える父親像を聞く。
- 両者が考える>父親像のギャップが何か、そしてそれは何故かを話し合う。(ギャップがある場合)
- そのギャップをどうするかを話し合う。
- 夫婦で話し合って出た父親像(to be)が一旦決める。
- 最後に、奥様と話し合って、その子育てにおける父親像(to be)に合わせた「役割」(to do)について決める。
こうすれば、少なくとも「子育てに時間がとれない」「直接的に子育てができない」といった問題(子育ての悩み)自体は解消されると思います。
(もちろん、そもそも、時間が取れたり、子育てに関われるのであれば、それにこしたことは無いかもしれませんが。)
ただし、あくまで、これらは一旦、夫婦で決めた「父親像」ですので、もしかしたら子ども自身が求めている内容ではないかもしれません。
子育てのために話し合った内容(父親像・役割)ですので、それが子どもが求めている内容で無かったのであれば意味がありません。
(正確には、子どもが笑顔でたくましく成長しないのでは意味がありません。)
ですので、その父親像を実行した際には、必ず子どもの様子・変化(その父親像が子どもに与える影響)を見て、
「あれ?違ったかな?」
「このままでは子どもが笑顔でたくましく成長しないのかな?」
と、思った時・感じ取った時には、改めて奥様と話合い、その父親像・役割に関して軌道修正(トライ&エラー)をしていく必要があるかと思います。
子どもも一緒に話し合える年齢なのであれば、子どもも交えて家族で一緒に話し合うのも良いかもしれません。
最後に
ある意味、「父親像・役割」は、「子育て」という(家族共通の)目的を実現・達成するための1つの手段とも考えられます。
そのため、初めに自分の中で導き出した「父親像・役割」にあまり固執しすぎないのも大切かもしれません。
(固執しすぎると、それが子育ての悩みに繋がります。)
上記で述べたように、実際にやってみると違うかもしれませんし、ある瞬間は合っていても子どもが成長していく中で段々と合わなくなってくる可能性もあります。
また、世間一般の「イクメン」という理想(答え)のようなものに惑わされず、子どもが憧れる「自分らしい父親像」「ありたい父親像」そして「自分らしい子育て」について改めて考えてみてはどうでしょうか。