「忙しい」という言葉を発することの恐さ

「忙しい」という言葉が周りに与える影響

自分は「忙しい」という言葉が嫌いです。
自分自身に対して使うのも、人から言われるのも。

なぜなら、

  • 忙しいというのであれば、それは(ほとんどの組織・職場において)皆一緒。
    にも関わらず、自分は「忙しい」と思った時点で周りが見えなくなってしまう。
    ひどいときには自分だけが「忙しい」と錯覚してしまう。
  • 「今、忙しいから、後にして」と言った場合、受け手はどう思うだろうか。
    まだ上の人(上司・先輩)に言うなら怒られるだけでいいが、下の人(部下・後輩)に言う場合が一番タチが悪い。
    下の人からすれば、
     「え?後っていつ?忙しいっていつまで続くんだろう。」
    と、どうしたらいいか分からなくなる。
    これが続けば、いずれは話しかけれなくなるだろう。
    もし、その瞬間に動けないのであれば、明確に
     「今、○○の作業をしないといけないから、△△くらいの時に話しかけるわ。」
    とすれば、タイミングをはかりやすい。

「忙しい」という状態

そもそも、「忙」という文字を良く見てみると、「心」編に「亡」という言葉をくっつけたものになります。

すなわち、

 「心を亡くしている」

状態です。

「忙しい、忙しい」と言っている時、周りが見えていますか?何より、それを言う意味はありますか?

「言霊」という言葉があるように、発する言葉は何かしらの自分にも周りにも影響があると思っています。

悪気は無く無意識化で言っている可能性はあると思いますので、心当たりのある方は意識して改善してみると良いかもしれません。

「忙」に限らずですが、何気ない言葉の力ってのは大きいので、気をつける必要がありますね。

余談:「忙しい」の使いどころ

ただ、もちろん他人に対して何かしらを依頼するときには、配慮の言葉として

 「お忙しいところ申し訳ございませんが、~」

とは使いますけどね。

プロフィール(当メディアの運営者 兼 筆者)

保育園協会の園長から「ITで保育業界を変えたい」と相談を受け、保育士と協力し合い、保育以外の業務を自動化し、保育士が保育に専念できる環境を創り上げる。

そして、保育の現場で子ども達の個性=無限の可能性を育む環境に関る中で、大人社会でも同様のことはできないかと考え始めたところ、「こどもも大人も凸凹(違い)を認め合える社会」の実現を目指すNPO法人オトナノセナカに出会い参画する。

現在はNPO活動と並行して、フリーランスエンジニアとして自分が得意とする「IT」x「教育」x「子育て」の分野を中心に活動を開始する。様々な人がお互いを認めて高め合い、創造性が渦巻く楽しい世界を目指して。

プログラミングレッスン・教室、IT研修・教育、ITコンサル・マーケティング、IT(技術)相談・支援、システム開発(WEB・スマホ)、保育園IT化、子ども・子育て関連事業など