脱・会議 ~無駄な会議をやめるために~
無駄・意味の無い会議にて起こっていること
- 「会議中毒企業」の特徴は、ずばり「会議 > 顧客」である。常識的には考えられないが、意外にも、疑うことなくこういった思考で仕事をしている人は多い。
- 会議を繰り返してきた。しかしそのたびに、現場を知らない「会議中毒者」に翻弄されて疲れ果てた。
- 取りやめになってはじめて気づく。「やってても、やらなくっても同じだった」参加者が10人いるとして、最初の1人や2人に対しては、細かいアドバイスをするが、時間が経過するにつれ面倒になってくる。
5人目以降は、「そろそろ時間が来たな。あと残った人の話は詳しく聞けなかったが、何かある? ない? ないならここまでにしとこうか」そう言ったあと、必ず続けるのがこのセリフである。
「何かあったら俺のとこに相談に来て。いつでも待ってるから」
断言できる。誰も相談にはいかない。こういうことをやってる上司には、会議と会議の間に部下からのコミュニケーションはないのだ。
誰からも「報告・連絡・相談」がないので、会議という場がないと統制が取れないという不届き千万な結論を抱く。
上記を読んで、身に覚えがあったり、ハッとした方はきっといると思います。
(かくいう私もその1人でした。)
これらは以下の記事に書かれていたものを抜粋(引用)したものになります。
(そのため、興味があれば是非、各記事を見てください!)
- 無駄な会議は「老廃物」~ダブついた幹部や管理職の口実になってないか~
- 1分50円、ちりも積もれば…~会議総コストを目の当たりにした社長は絶句した~
- あ、それは「会議中毒」の症状です~“患者”は思考停止している可能性が高い~
- 「会議の目的」全部書き出せますか~「断捨離」の発想、まず捨てることから始める~
- 「ソーロンさん」に会議はご法度~上司と部下「いい加減レベル」均衡の“心地よさ”~
なお、記事中に何度も出てきますが、この筆者が示す「脱会議」の定義は以下のとおりです。
「脱会議」とは、『会議の「数」、会議の「時間」、会議の「参加者」を2分の1に削減し、「会議総コスト」を90%削減させる』こと
昔は自分も会議人間だったときがあるので、今回の記事を読んでてすごい苦しい部分がありました。(今もそうなのかもしれないですが。。)
『また会議ですか?』
何度このキャッチを言われただろうか。
『ごめん』
それに対して、何度言っただろうか。
『でもね、~』
と、何度自己肯定の言い訳をしただろうか。
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脱・会議に向けて
こういった記事を見て、また現状を改めて見直した時、本当に必要な会議を改めて考え直しました。
そして、現在のプロジェクトでは、基本会議を実施してないです。
(現在の新規事業プロジェクトは立ち上がって約3ヵ月、メンバは3名)
やったとしても、週1で自分の席の周りに集まって、全員で認識統一しないといけない話だけを15分くらいで実施しているちゃちゃっと話す程度。
朝ミーティングや夕ミーティングを考えたこともありましたが、一旦思い切ってやめてみようと思いました。
進捗確認とかは、自分がメンバの成果物を直接確認して分からなかったらメンバ個々に確認すれば済むことだし。
てか、そもそも、自分が確認しないことの方がおかしい。
自分が依頼した内容を、情報共有という場を設けないと確認しようとはせず、そしてメンバからその内容をホウレンソウしてこなかったら「なんでだ!!」ってなるのは、リーダーの意識としてちょっとちゃうよねって思ったから。
(メンバ自信からのホウレンソウはもちろん大切ですが、このケースの場合はホウレンソウという名目を利用した上の怠慢)
情報共有・進捗確認という名のもと、リーダーがまとめて話を聞きたい場として利用するのは違うとも思ったし、決定が必要なモノがあれば、上記のように日ごろからリーダーからコミニケーションして自分から拾って、そもそも会議なんて待たずに、その場その場で決定していけばいいことなんだから。
特に新規事業のようなスピードが大事なものにおいて、会議まで決定待ってたら遅くてしょうがない。
作業を進めるための会議が、会議のための会議になったらもうおそまつ。
ってことを今までの自分自信を振り返って思い、会議に関して、まずは自分の周りからズバズバ変えて行きました。
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必要な会議とは
ただ、「会議」という形式をとるんだったら、過去の「確認(Check)」をするためだけの報告系や形骸化した定例会議では無しですが、未来に向けての「行動(Action)」を検討したり、その認識合わせしたり、皆でディスカッションが必要なものは有りだなとは思ってます。
そんな中、メンバから、お客様との打合せ後には必ずミーティング(会議)を入れたいと相談を貰いました。
今までは、打合せが終わった後に、その対応方針やどうするかは、皆の負荷が掛かると思って、自分の方でまとめて、各担当者と会話して進めていました。
しかし、
「自分たちも他業務の方向性について会話して、皆の考え方を学び、そして自分たちで新しいシステムを創りあげていきたい」
という意図でメンバから提案してくれました。
こういった会議であれば、まさに未来に向けての検討であり、ディスカッションであります。
何よりこういうスタンスで参加者全員が臨む場というのは、確実に費用対効果を生みます。
最後に
今回の記事にあった以下2点。これは、会議以外でも言える大切なことですね。
- 会議中毒の組織は、一種の「学習性無力感」が蔓延していると言っていい。長期にわたり、抵抗や回避の困難なストレスと抑圧の下に置かれると、その状況から「何をしても意味がない」ということを学習し、逃れようとする努力すら行わなくなる。これが「学習性無力感」だ。
入社当初は、何かおかしい、本来の仕事をする時間が取れない、と怒って上司に何度もかけあったのに、状況は何も変わらない。次第にこれを普通だと考え始める。- ・バタフライ効果とは、「ブラジルでの蝶の羽ばたきは、テキサスでトルネードを引き起こすか」に由来している。つまり、どんなに微小な動きでも、いずれ大きなムーブメントに発展する可能性があるということだ。
・あなたには全社で進める権限がないかもしれない。それでも身の回りから進めていくことはできるはずだ。
・「うちの部署だけでも、脱会議っていうのをやってみませんか」。理屈じゃなくて、導入してみる。組織には浄化作用がある。必ず投げかけ続けることによって報われる。